世俗と世尊を望む谷
西行の四国行脚は修行の旅であり、五色台の白峯にある崇徳院の墓参とともに真言宗の 祖、空海の生誕地の遺跡巡りに旅の目的が ありました。 諸説はあるものの、西行は我拝師山付近 の水茎の岡に庵を結んだといわれ、ここで 数々の歌を詠みました。我拝師山は、当時 修行する空海が釈迦如来(御師)に会った 山として伝わっていました。 西行の庵付近からは、世尊の釈迦如来が 現れた捨身ヶ岳のみならず、ふつうの人々 が住む俗世間まで一望できます。西行の庵 は、いわば世俗と世尊の狭間にあったのです。それでは、西行はなぜここに庵を結ん だのでしょうか。四国行脚の目的が修行であったことを考えると、西行は釈迦如来が現れたこの山に 強い関心を寄せたと思われます。同時に、 世俗の人々を見つめることで、世尊の前で 繰り返される世俗の行ないに、ものの哀れを見いだそうとしたのかもしれません。
西行の昼寝石
(曼荼羅寺)
禅定(中央)
(曼荼羅寺より)
生木大明神
捨身が岳
世俗と世尊を望む谷