里山にねむる戦国の山城
戦国時代、群雄割拠する武将たちは敵の侵入に備えて、こぞって詰めの城を造りました。その多くは領地を見おろす山に造られ、戦国の山城と呼ばれます。山城は本城のみでなく、それを守る枝城にも及ぶため、かなりの数が造られました。私たちが何気なく目にする山々の多くには、こうした戦国の山城跡が眠っているのです。
山城は、籠城戦に備えて敵の攻撃を受け にくくする構造や水と兵糧を確保する構造を備えていました。主郭(本丸)は、敵の攻 撃を受けにくい両側が急崖になった山の尾根に築かれました。通路となる大手の尾根 には、建物や兵を配したた郭を連ねて (連郭)、敵の侵攻に備えました。また、郭 と郭の間に切堀(空堀)を設けて、堀に架かる橋を落として敵の侵入を妨げる防備と しました。こうした構造に加えて、天霧城は表口の大手の緩やかな尾根に対して、裏口である搦手には急峻な坂道を備え、 敵を寄せつけない構造になっています。